切迫早産 管理入院から出産まで

双子育児-双子育児の記録-切迫早産 我が家の記録

切迫早産による入院は、出産という一大事を前にした私たち夫婦に突然降りかかり、「この先どうなるんだろう」と先行きが見えない不安がありました。

この記事は、私たちと同じようにある日突然切迫早産に直面し、不安を感じている方に向けて、少しでも先の見通しが想像できればとの思いで書きました。

文中に登場する先輩ママや医師、看護師のように読者の方を励ますことはできなくても、私たちの記録が何かの役に立てればと思い、記事にしました。

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管理入院

妊娠20週を迎え、妻のお腹は目立って大きくなりました。
私は早く双子の顔を見たいと思う一方、3年前に経験した流産も頭にあり、なんとか無事に出産まで行って欲しいと願いながら、体に無理をさせないよう注意しながら生活していました。

その頃、妻自身はお腹の張りの頻度が多くなったと感じ、定期健診の予定は次の週だったが、念のために会社を休んで病院へ行きました

診断結果は切迫早産。
子宮頸管が短くなっており1週間ほど管理入院が必要、退院後も就業許可は出せない、とのことでした(20mmを下回ると即入院というルールだそう)。

私は、夜帰宅してその結果を聞いたとき、すぐに長期戦を覚悟しました。
おそらく、1週間というのは医師の気休めの言葉で、出産まで長期入院になるであろうこと、出産後は実家に帰してやらなくてはならないこと。

結婚から約5年、多少の喧嘩はあっても夫婦二人、おんぼろ社宅で仲良く暮らしてきました。

私は「双子を無事に生んで、次は家族4人また一緒に暮らそう」と声をかけました。

心配をかけないつもりでかけた言葉でしたが、妻はその言葉ですべてを悟ったらしく、泣きながら「うん」と答えました。

入院生活前半

大部屋での入院生活がスタート。

やはり1週間というのは気休めで、出産までの長期戦となりました。

大部屋には先輩ママさん達がいて、育児の大変さや他愛もない話などで暗くなりがちな病室を盛り上げてくれていました。

一方、私はある病気にかかってしまい、病棟への出入りを控えなくてはならなくなった。

1週間ほど妻と顔を合わせられない日が続き、慣れない入院生活と切迫早産の不安から、妻は情緒不安定となってしまいました。
医師や看護師、義母も含めて相談し、個室へ移動することになりました。

今思えば、本当に辛かったのは先輩ママさんたちの方だったろうと思います。
おそらく幼い子を家に残して入院しているにもかかわらず、暗くなりがちな病室を盛り上げてくれていたのではないでしょうか。
それは子育てを経験したママの強さだったのかもしれません。

後日、泣いている妻を一緒に励ましてくれたと看護師から聞き、本当に有難い気持ちになりました

子宮頸管はその後も短縮を続け、その数値が妻の不安を煽る形となっていました。

職業柄、科学論文を調べることはできるので、不慣れながら医学論文を調べてみて次の事が分かりました。

  • 早産を予測するパラメータとして子宮頸管の長さくらいしかないこと
  • 点滴していたリトドリン、マグセントはもっと増やせる余地があること

子宮頸管は10mmを切るところまでは聞いていましたが、その後は聞くだけ無駄と判断し、医師と看護師に「数値は教えてくれるな」と伝えました

病室では妻がノートをつけることにしました。
点滴の設定値や、お腹の張りが発生した時間・間隔、深呼吸何回で収まったか、など。

医学的にはあまり役に立たない情報かもしれませんが、自分の状況を客観的に見える化できたことで、ほんの少しだけ精神の安定剤になったようです。

切迫早産の入院中につけたノート

医師からは「低空飛行で行けるところまで行きましょう」と声をかけられていました。
「打つ手はたくさんあります」とも。

当時、広島カープは21世紀に入ってから一度もAクラス入りしたことがないが、最下位になったことも一度もない、という状況になぞらえて、自分たちも「カープ作戦」で行けるところまで行こう、と励ましあいました。
(注:その後のカープの躍進は説明するまでもありません!)

入院生活後半

妊娠25週、入院から1か月ほどが経ち、入院生活にも慣れてきました。

リトドリンとマグセントの点滴はずっと続いていて、血管痛がひどく、3日おきに針を差し替え(注入する血管を変える)をしていました

妊娠27週、医師判断で点滴量を大幅に下げました。
そして安定したまま、目標としていた28週に至りました。

その頃から、看護師さんが出産や授乳に関する話題を提供してくれるようになり、少しずつそちらに意識を持っていこうとしている様子が伺えました。

点滴については、「出産時に備えて一番頼りになる太い血管(通称:左のエース)は温存しておこうね」といった会話も出始めました。

また、出産の数日前にはステロイド注射を打つことで、赤ちゃんの肺機能増強が期待できること、についても頭出しされました。

なんとなく、その日が近づいてきていることを妻も私も意識していました

妊娠29週、子宮口の開大がはじまりました。
詳しくは聞けませんでしたが、すでに2cmくらいは開いていたと思います。
すぐに医師はステロイド注射に踏み切りました。 

出産

朝10時すぎ、妻より電話。
子宮口の開大が6cmまで進んでおり、家族を呼ぶように言われたとのこと。

私は会社からタクシーに乗って病院へ向かいました。

医師から説明を受けて、手術が始まりました。

約1時間後に手術は終了。
双子と対面。
二人とも1200g。

「小さいけど大丈夫そうだ」というのが第一印象でした。

妻の入院生活を一緒に支えてくれた義母も涙を流して赤ちゃんを見つめていました。

本当なら酸素吸入を急がねばならないタイミングのはずでしたが、医師は最初の対面を重要と思ってくれていたようで、ぎりぎりまで時間を取ってくれました。

その後、赤ちゃんの入院の説明と手続き、実家や会社への連絡、とバタバタしました。

輸血の誓約書にサインする関係で双子の血液型もすぐに分かりました。
娘は妻と同じ、息子は私と同じでした。

手術を終えた妻とも病室で再開しました。
大きな仕事を終えて、落ち着いた様子で安心しました。

世間はこれからお盆休み。
もしかして、お盆休み中に出産となると色々大変なので、その前の出産となるように病院側が上手くやってくれたのかもしれません。

いずれにせよ、医師や看護師はすごい。
慣れているとはいえ、これを毎日やっているなんて本当にすごい

私たちが出来ることは、医師を信じて落ち着いて入院生活を送ること。
あとは「カープ作戦」などと妙な名前を付けて励ましあったりすることくらい。

妻は、病院食をほとんど寝た状態で食べ、お腹に負担をかけないようにしていました。
トイレまでの数歩を歩くにも、一歩ごとに深呼吸してお腹が張らないように気を付けていました。

私が出来たことは、毎日定時ダッシュで病院に駆け付け、元気な顔を見せることだけ。

どんな些細な事でも、その人なりのベストを尽くすこと。
これが一番大事だと思います。