「双子の顔を毎日見るのはツライ…」
産後うつだった妻にとって、1200gと小さく生まれた双子の存在は精神的な負担になりました。
この記事は、産後うつに苦しむ母親(妻)を目の前にして歯がゆい思いをされている父親(夫)に向けて、何かの役に立てればとの思いで書きました。
私自身もうつ病を経験したことがあります。
そのときの体験から妻が無理することがないよう配慮し、医師や看護師のサポートを受け、他でもなく双子の成長を目の当たりにするなかで快方に向かった妻の様子について書きます。
何か特別なことをやったわけではありませんが、参考になれば幸いです。
私(夫)のうつ病体験
妻の産後うつについて書く前に、まず私自身のうつ病体験について。
双子を授かる数年前に、うつ病を経験しました。
症状としては、夜中に翌日の事が気になって目が覚める睡眠障害に始まり、日中デスクに座っているのが辛くてトイレに逃げ込んだり、といったものでした。
精神科に通っても改善せず、ついに休職することになりました。
転職してすぐの時期で、早く周囲に認めてもらおうと頑張りすぎていたかもしれません。
2年間の海外生活から帰国したタイミングでもあり、日本の価値観やスピードについていくため気を張っていたこともあります。
さらに結婚、新生活のスタートもこれらに重なり、変化のスピードに精神面がついていけなかったのだと思います。
その時、助けてくれたのは妻でした。
彼女も仕事を続けていましたが、
「心配しないでゆっくり休んで。色々なことを急ぎすぎちゃったね」
と声をかけてくれ、私のために昼食を準備してから出社しました。
私は休むことに専念し、およそ3か月後に元の職場へ復帰しました。
うつ病は自分が気づかないうちに悪化する、ということを痛感しました。
二度と同じ経験をしたくないと思い、働き方を改めるきっかけにもなりました。
妻の産後うつ
もともと心配性
妻はもともと心配性な性格で、子供を持つことに対しても慎重でした。
双子を授かったとき出生前検査を受けることを希望したのも、子供たちの将来を心配するがゆえ。
彼女の性格を考えれば当然のことだと思います。
小さく生んだ罪悪感と後遺症の心配
”赤ちゃんはだいたい3000g”というのが一般的な感覚ではないでしょうか。
我が家の双子は1200gで生まれてきました。
妻は小さく生んでしまったこと、後遺症が残るのではとの心配から、辛い日々が始まりました。
子供たちが退院するまでの2か月の間、最も苦しめられたのは未熟児無呼吸発作(アプニア)でした。参考:未熟児無呼吸発作
子供たちが呼吸を”さぼる”とセンサーが感知してアラームが鳴ります。
しかし、多くの新生児のケアに当たっている看護師にとって、そこらじゅうで鳴り響くアラームの一つ一つに対応できている訳ではなく、このことが妻にとって大きな心理的負担になりました。
娘は成長につれて収まったのですが、息子は退院間際までアプニアが続きました。
あまりに心配する妻を見て、医師が
”アプニアの重症度がその後の発育・発達に影響を及ぼすことはない”
という医学論文をコピーして渡してくれました。
参考:早産児無呼吸発作と神経学的予後に関する検討 : 第二報 : 重症無呼吸発作が3歳時・6歳時における身体発育・精神運動発達に与える影響の検討
また、
「アプニアは日にちグスリだから長い目でみるように」
と声かけもしてくれました。
でも妻の心配は解消されませんでした。
精神科への通院
妻が私にしてくれたように、今度は私が妻をしっかり休ませる番でした。
彼女は、
「双子の顔を毎日見るのはツライ…」
と言っていたので、あるときから平日は搾乳した冷凍母乳を病院へ届けるだけ、週末に私と一緒に双子と面会する、という生活に変えました。
また精神科への通院も始めました。
どのようなカウンセリングがあったのか私は同席していないのでわかりませんが、これも回復の助けになりました。
産科でお世話になった医師や看護師たちも顔を合わせるたびに話を聞いてくれて、大きな心の支えになったようです。
でも一番効いたのは他ならなぬ双子の成長でした。
脳(MRI)と聴力(ABR)の検査前日、医師より、
「アプニアが長引いているけど他に異常所見はない」
「MRIを取ってみないと分からない。正直、私もドキドキしている」
と話をされました。
医師も決して楽観視している状況ではないと知り、私自身も緊張しました。
検査の日、妻は家でじっと待つことができず、氏神神社に参拝し子供たちの無事を祈りました。
結果は、娘も息子も問題なし。
医師より、
「二人とも大丈夫。こんな感じで心配かけながら成長していくんですよ。」
と声をかけられました。
この日を境に、妻の精神面はゆっくりと快方に向かいました。
双子が退院が決まり、実家に帰っていた妻は私のおんぼろ社宅に戻ってきて、久しぶりに夫婦二人だけの静かな時間を過ごしました。
思えば切迫早産の診断を受け、突然離れ離れの生活になってからおよそ5か月。
人生で経験したことのない大変な時期でしたが、励ましあってなんとか乗り越えることができました。
父親として
父親として私が出来たことはほとんどないのですが、毎日双子の顔を見に行くことは欠かさずに続けました。
定時ダッシュで病院に行き、日中妻が病院に届けた母乳を双子あたえ、オムツを交換しまて帰るだけです。
ただ、その定時ダッシュが大変です。
大変ですが、私の頑張りだけで出来ることなのでやろうと決めました。
GCUの赤ちゃんたちは、ミルクの時間になると
「早くくれ~!」
と大合唱を始めます。
我が家の双子は最初のうちは2mlしか飲めませんでしたが、成長につれて飲む量が増えていき、退院前には50mlほど飲めるようになりました。
大合唱でも後輩たちをリードできるまでになりました。
オムツ交換をしているとき、汚れたオムツを子供の顔の前に置いてしまい、看護師さんからひどく怒られました。
少し前に、
「アプニアのアラーム対応がずさんダッ!!」
と私からクレームしたことのある看護師さんでした。
彼女は別にやり返しに来たわけじゃありません。
実際、彼女の言う通りで、
「目の前にウンチを置かれたら誰だってイヤだよな…」
と反省しました。
私の到着が少し遅れたときなどは、ミルクの準備を少し遅くして待っていてくれるなど、よく気を使ってくれる看護師さんで、きちんとプロの仕事をしてくれていたのでした。
このようにして授乳とオムツ交換がやたら上達してしまい、テキパキと二人分をこなして帰宅する姿を見て、周囲のママさんから
「ひょっとして医療関係者ですか?」
と声をかけられましたが、ただのオヤジです。
低体重で生まれバタバタしていたため、敢えて面会を控えていてくれていた私の両親にもようやく来てもらうことができました。
妻の体調が良いときにはベビーマッサージを申し込み、ベテラン看護師さんの指導のもとで双子をオイルでもみくちゃにし、たわむれました。
妻は恐る恐るでしたが、赤ちゃんと本格的に触れ合うはじめての経験になりました。
以上を振り返ってみても父親としてできたことはほどんどないように思います…
ただ、どんな小さなことでも出来るならやる、常に冷静を保ち医師と看護師を信じて対応したことは、良いほうに働いたのではと思います。
産後うつのサポートの詳細は、以下も参考になさってください。
まとめ
「双子の顔を毎日見るのはツライ…」
産後うつだった妻にとって、1200gと小さく生まれた双子の存在は精神的な負担になりました。
この記事は、産後うつに苦しむ母親(妻)を目の前にして歯がゆい思いをされている父親(夫)に向けて、何かの役に立てればとの思いで書きました。
私自身もうつ病を経験したことがあります。
そのときの体験から妻が無理することがないよう配慮し、医師や看護師のサポートを受け、他でもなく双子の成長を目の当たりにするなかで快方に向かった妻の様子について書きました。
何か特別なことをやったわけではありません。
産後うつと言っても人によって原因は様々でしょう。
しかし、最も身近にいる夫・父親として、やれることはどんなに小さなことでもやる、常に冷静を保って動じないでいることは大事なことだと思います。
数年たったある検診の時、院長(新生児医療の分野では有名な先生)から、
「双子は順調、奥さんも笑顔が戻ってる。ご主人よく頑張ったね」
と声をかけてもらいました。
「見てくれている人もいるんだな」
と胸が熱くなったのを思い出しました。
最後に、父親の1割が産後うつになるとも言われています。
どうかご自身のケアも忘れず、ご家族や職場の協力も仰いで難局を乗り切っていただきたいです。