私(SATOSHI)

はじめまして。
SATOSHIといいます。
岡山県出身の42歳です。
田舎でのびのびと育ち、環境問題やエネルギー問題に興味を持ち、関西の大学へ進学しました。
大学時代はサッカーやアルバイトに汗を流し、楽しい学生生活でした。
やがて就職活動の時期が来て、高校生のころから興味を持っていた地球環境の維持に関する仕事に就こうと、電気メーカーを中心に受けるも、ことごとく失敗。
気持ちを切り替えて業種を広げ、環境メーカーになんとか就職できました。
今では『就職氷河期世代』と呼ばれていますが、ひとくくりに扱えるほど単純なものではないと思います。
私にとって、人生で経験する初めての挫折であり、自分と向き合う貴重な経験でもありました。
入社後に待っていたのは岩手県への長期出張。
1年目の新人であっても一人で現場を任され、夜中でもトラブルの度にたたき起こされ、吹雪の中を旅館から現場へ向かいました。
仕事の辛さよりも、現場の過酷さを若手に丸投げして、本社で高みの見物を決め込んでいる(現場へはたまに飲みに来るだけ)の上司や、そんな人物が評価される会社の仕組みに嫌気がさし、3年目で退職。
自分は「会社員というものが向いてないのかな」、と悩みつつ、学生のころから興味を持っていた海外ボランティアへ参加。
様々なバックグランドの仲間たち、発展途上国でたくましく、笑顔で生きる人々と出会い、自分のもっていた世界の狭さに気づかされました。
ゆっくりと流れる時間の中で、自分は本当に「会社員に向いていないのか、どんな仕事で食っていけばいいのか」、もう一度考えてみました。
出した答えは「どんな仕事であっても、自分をしっかり持とう」、「合わないものには合わせない。周囲の悪いものは変えていこう」と思いました。
帰国後、再びスーツを着て就職活動。
採用面接では「海外ボランティアを遊びだと思っているなら、採用しなくていい」とはっきり伝えました。
「会社の言いなりで働くつもりはない」、と自分なりの意思表示でした。
半分くらいの会社から前向きな通知が来ましたが、一番最初に採用が決めてくれた会社に就職を決めました。
新しい仕事に早く慣れようと、朝早くから夜遅くまで、頑張りました。
私の再就職を待ってくれていた妻との結婚、新生活がスタートしたのもこの時期。
公私とも最も充実、と美談で済めばよかったのですが、メンタルに不調をきたしダウンしてしまいました。
3か月ほど休業を余儀なくされましたが、妻をはじめ周囲の支えがあって、仕事に復帰しました。
数年後、男女の双子を授かりました。
1200gと小さく生まれた子供たちは、私たち夫婦に心配をかけましたが、元気に育っていく様子は幸せをもたらしてもくれました。
大変な双子育児を妻のワンオペにさせないために、残業時間を短くして結果をだせるよう、働き方を変えました。
お金は2倍かかったとしても、双子育児の大変な時期を乗り切るために、必要な投資はしようと決めました。
育児の大変さもピークを過ぎ、大変な双子育児を振り返ってみて、多くの人に支えられていたことに気づきました。
自分も少しでも恩返ししたいと思い、妻と同じように不安な思いをされている若いママや、そんなママを助けたいと思っているパパに向けて、ブログを始めることにしました。
私たちの実践が役に立つかどうかわかりませんが、「ふーん、こんな感じか」とリアルな一例としてみてもらうだけで、十分だと思ってます。
大変な双子育児を乗り切るコツを一言でまとめるなら、
『時間とお金を、ママの負担軽減に最大限投入すること』
だと思います!
双子の親は自由な時間が少なく、お金も2倍かかり、大変なことだらけです。
でも、双子の親ならではの素晴らしい経験もたくさん出来ると思います。
大変な双子育児を「いつか終わる我慢の一つ」として捉えるのではなく、双子の親という貴重な経験を楽しんでほしいと思います。
我が家の記録
妻

京都府出身のアラフォー。A型。
趣味は読書と海外ドラマ。
筋金入りのインドア派。
「幸せは家の中にある」がモットー。
心配性な性格だが、その分誰も見てないところに気が付く。
結婚前からの仕事を続けて、今や20年戦士。
男女を問わず、若手からお悩み相談を受けるのは、頼られているというより、ほっとするからだと思う。
娘

2012年うまれ。A型。双子の姉。
妻を小さくしたような子。
読書とお絵かきが好き。
ハートは小さいが、運動はそれなりにできる。
好きな食べ物はたこ焼き。
最近は抱っこもさせてくれないが、私が精神的に疲れているときは察して近くに来てくれる。
息子

2012年うまれ。O型。双子の弟。
サッカーと阪神が大好き。
お調子者。
根っからのハッピーボーイ。
好きな食べ物はパン。
女性が髪を切ると私より先に気が付き、「似合ってるね」と声をかける生意気な奴。